ブックタイトルほんもののたたみ | 畳屋道場

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概要

畳屋道場は「ほんもののたたみ」をお届けします。

29鏡夏の夜空に上がる花火を見ながらビールを飲むときは、畳の上がいい。そういう畳のある環境を楽しむ感性を大事にしていきたいと思っています。光嶋なぜそれが快適かということは、なかなか数値化できない。だからそこに勝負どころがあると僕は考えているんです。伝えるために別の言葉が必要。鏡これから求められるのは「語れる畳屋」です。特に国産のい草・畳表の魅力について語れる畳屋。光嶋畳表が緑から狐色に、そして飴色に変化していく、そういう〝いい年の取り方をする?のは中国産では味わえない日本のい草の魅力です。良質な家具が、使われ続けて、傷も含めて次第に魅力を増すのと似ています。鏡畳に調湿性がある、空気を浄化する、色合いが目にやさしい、い草の香りに鎮静効果があるといった機能面だけ語るだけではなく、畳のある生活、畳を愛でる文化を伝えていきたい、そう思っています。実は、初めてい草の産地、熊本県八代市に行ったのは、遅ればせながら2006年のことでした。その時の農業体験を通して感じたのは、い草農家の厳しい経営実態でした。このままでは国産の畳表がなくなってしまうという強い危機感を抱きました。突き動かされるような思いで、翌年、畳屋道場を立ち上げました。光嶋鏡さんの畳におけるそういう大きい危機感にシンパシーを感じたんです、僕は。全国の畳屋さんに手紙を送って束ねようとしている労力たるや大変なものです。鏡「日本のい草がなくなると畳文化は終わる。」初めて生産農家を訪れたとき、そう直感しました。光嶋国産い草の98%が八代産です。〝最後の砦?。ここがダメになったら国産の畳表そのものがなくなることを意味します。国産畳の需要を再生させるあらゆる可能性を探る必要があります。海外でのトライも含め。近々ニューデリーで開かれるインド・インターナショナル・トレードフェアに畳製品の出展を決めたのもその一環です。鏡い草はインドから薬草として渡来したといわれています。私の推測ですが、「インドグサ」と呼ばれていたのが「い草」になったんじゃないかなと思っています。だからインドとはご縁があるはず。光嶋畳で文化交流ができそう。そういう意味では、宮本常一さんのような民俗学的なアプローチも必要です。畳のスペシャリストも育ってほしい。〝畳ソムリエ?がいてもいい。なぜ味わいがあるのか、どう違うのかを語れるような。鏡50年ほど前の東京オリンピックのあたりから、日本に建築ブームの時代が到来しました。畳も作れば売れる時代。効率を求めて「分業」になり、やがて「分断」になって、そこへ安い中国産のい草が輸入されはじめて価格競争に巻き込まれ、生活様式の変化で畳の需要が減る中、縮小する市場を安値で取り合う構造的な衰退産業になってしまった。「国産畳の魅力を知る」とか「日本固有の畳文化について語る」などといった方向とは逆向きにシフトしてきたんです。光嶋畳屋が畳のことを知らないから畳のことを語れない、畳表が中国産か国産かの見分けもつかない、産地のことも分からない。鏡さんは「このままではまずい」と気づき、危機感を持った。そして行動した。僕は鏡さんのその行動力に信頼を置いているんです。一緒になって活動できる同士を見つけた感じ。いまだ暗中模索ですが、早く突破口を見つけたい。効率を求めて「分業」が進み、やがて職能別に細分化され、「分断」していったのは、大工や左官職人など、建築の領域においても同様のことが起きています。鏡国内の国産畳の流通量は年間600万畳といわれています。しかし産地の生産能力は300万畳分程度です。計算が合わない。中国産のい草を輸入して畳表を織る最終加工地が日本なので、「国産」としている畳表が約半分と見るのが自然です。われわれ畳屋が中国産と見抜く眼力を鍛えてこなかった。国産のい草を使った畳表は、劣化ではなく経年変化が美しいとか、年によって特徴があるといったことは、語られることもないままに推移してきたんです。光嶋裕介建築家。1 979年アメリカ生まれ。早稲田大学大学院修士課程建築学専攻修了(石山修武研究室)。2 004年からドイツ勤務。08年ドイツからより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所開設。首都大学東京助教、桑沢デザイン研究所と大阪市立大学で非常勤講師。凱風館の設計者。近著に『建築武者修行?放課後のベルリン』(イースト・プレス)がある。